東北地方の古民家の形
平面形
17世紀初め(江戸時代初期)頃、東北地方の農民住居は、平面が長方形の「直屋」の形でした。その後、馬の飼育や冬の積雪などに対する工夫、養蚕の技術改良などによって、平面の形も少しずつ変化してきました。
18世紀初め(江戸時代中期)頃から雪の多い寒い地方では、農耕用の馬を主屋の土間の隅で飼うようになり、やがて、土間の中に馬屋が設けられるようになりました。秋田県や福島県の会津地方などでは、道路から屋内へつながる土間を設けた「中門造り」、岩手県の一部などでは販売用の馬を飼うために広い馬屋を設けた「曲り屋」となりました。
民家の平面形と馬屋の位置
外観
住居の軒高は、17世紀(江戸時代初期)以降はどの地方でも改築のつど、高く建てられるようになりました。
19世紀(江戸時代後期)に入ると、とくに福島、宮城、山形などの養蚕が盛んに行われていた地域では、中二階を設けた非常に高い軒をもつ住居が建てられるようになりました。
軒高を高くすると、周囲の下屋の出幅を大きくしたり、中二階を設けたり、外観の見栄えがよくなりました。
間取り
17世紀初め(江戸時代初期)頃、東北地方の農民住居は、平屋の土間式のもので、間仕切りがなく、土間と土座の2つの部分からできていたようです。17世紀末(江戸時代中期)には、土座の部分を一段高い板敷きの床にした「ヒロマ型三間取り」の形が多くなりました。
18世紀末〜19世紀(江戸時代後期〜明治時代初期)には、この形からさらに進んだ「四間取り」、またはこれを基本とした少し複雑な形になりました。
屋根型
17世紀(江戸時代初期)頃、東北地方の農民住居の屋根は、ほとんどが寄棟造りでした。
18世紀末〜19世紀初め(江戸時代後期)にかけて、養蚕がさかんに行われていた地域では、中二階や屋根裏が設けられ、屋根の形が大きく変化してきました。
半切妻造りの屋根は、中二階や屋根裏に光を入れるため、屋根に窓をあけ、妻側の軒が切り上げられてできたものです。
屋根型4種
監修 東北工業大学名誉教授 草野和夫 氏