成瀬川河畔の家 Narusegawa-Kahan House

鳴瀬川河畔の家

鳴瀬川河畔の家
[宮城県]

–旧菅原家住宅–


鳴瀬川河畔の家の画像

もとの所在地
宮城県加美郡色麻町
建築年代
19世紀末(明治期頃)
規模
433m2(131坪)
家の形式
中二階式養蚕家屋
寄贈者
菅原 知巳 氏
宮城県川崎町有形文化財指定第2号(平成12年指定)

もとの所在地

この家が建っていた色麻町は、鳴瀬川が流れる平野部にあり、たくさんの水田があります。
また、米作りとともに養蚕もさかんに行われていました。この家に住んでいた菅原さん一家も農業をしながら、たくさんの蚕を飼っていました。

家の特色 ─水害にそなえる─

鳴瀬川は、大雨による氾濫が多く、時には家の中まで水が入りこみました。 この家では、二階の床板の一部分を釘で固定せず、水害時に床板をはずして家具や食料を二階に上げられる工夫がされています。




鳴瀬川河畔の家平面図

うまや かって・だいどこ かみのま なかのま でい うらのま うらのま なんど でい(二階) なかのま(二階) しものま(二階) ものおき(二階) ものおき(二階)

鳴瀬川河畔の家 一階平面図 縮尺1/70
鳴瀬川河畔の家 二階平面図 縮尺1/70

手前の農作業用の土間部分も含めた全体を「うまや」と呼んでいました。この上の屋根裏は、馬の飼料用のワラ置き場でした。
右手の「かって」は調理・炊事の場でした。左手の「だいどこ」には炉が切られ、煮炊きや食事、団らんをする所でもありました。
「だいどこ」の“上手(かみて)の部屋”という意味で、「かみのま」とか「おかみ」と呼ばれてきました。
「なかのま(中の間)」は、居間(かみのま)と座敷(でい)との間の部屋という意味です。
ここでは座敷を「でい」と呼びました。床の間など座敷の構えを持つ正式の客間です。
家具や食器什器類の置き場、または三つ目の寝室として使われました。
二つ目の寝室、または家具や食器什器類の置き場として使われました。
当主夫婦の寝室、および衣類の収納場所として使われました。
ここでは座敷を「でい」と呼びました。床の間など座敷の構えを持つ正式の客間です。
蚕室および蚕具置場として使われました。また鳴瀬川の洪水の時には、避難場所としても使われたようです。
中央部分の床板を固定せず、外すと一階と二階が吹き抜けになる造りです。鳴瀬川の洪水の時には、ここから家具や食料を運び上げたそうです。
主に蚕室および蚕具置場として使われました。

建築模型