- もとの所在地
- 青森県弘前市
- 建築年代
- 19世紀半ば(江戸時代末期頃)
- 規模
- 179m2(54坪)
- 家の形式
- 内馬屋式直屋
- 寄贈者
- 奈良 哲夫 氏
- 宮城県川崎町有形文化財指定第5号(平成12年指定)
もとの所在地
この家が建っていた津軽平野は、冬には強い風と雪が吹きつけるきびしい気候で、豪雪地帯です。米作りとともに、リンゴ栽培もさかんに行われています。
この家に住んでいた奈良さん一家もリンゴ栽培の仕事をしていました。
家の特色 ─長い出し庇 「しらし」─
この家は、土間の前に長い出し庇を突き出していて、雪が降り積もる時期にも家への出入りがしやすいようになっています。
出し庇は、この地方では「しらし」や「ひやし」などと呼ばれています。庇のなまりのようです。
津軽の家 平面図 縮尺1/40
- とろじ・まや(馬屋)
- 「とろじ」は入口からの通路土間で、屋内の作業場として使われました。「まや」は主屋内にあるので、冬の寒さから馬を守るのに適していました。
- おしこみ(押し込み)
- この家では、もともとの「めんじゃ(水屋)」はここだったようです。奥に「ながし」が設けられた後は、押し入れとして使われました。
- ながし(流し)
- 「ながし」は調理や炊事の場でした。「とろじ」と共に、屋内での農作業の場所として使われることもありました。
- いなべ
- 刈り入れた稲やもみなどの収穫物を収納しておく倉庫として使われました。隣の「流し」と行き来しやすいよう、同じ高さの板土間となっています。
- だいどこ(台所)
- 炉(この地方では「しほと」「ゆるぎ」などと呼ぶ)が設けられ、煮炊きや食事など、家族の日常の居間として使われました。
- ねどこ(寝所)
- 左右2室に仕切られ、上手側(向かって左側)は年長者の夫婦、下手側は若い夫婦の寝室でした。子供達の寝室は「まや」「とろじ」の二階(「まげ」などと呼ぶ)でした。
- じょい(常居)
- 「げんかん」から入った前座敷で、日常的な来客はここで応対しました。
- ざしき(座敷)
- 床の間を備えた正式の客間で、正式な客を迎えるために使われました。