この松は、釜房ダム建設によって水没した湯田河温泉にあったものです。
樹齢六百年と言われ、鶴が羽根を広げているように見えることから、「鶴の松」と呼ばれ、川崎町の皆さんに親しまれてきました。
昭和43年に国道沿いの高台の地に移植され、この地には平成16年に移植しました。
【樹種】ゴヨウマツ
【樹高】6.5m
【幹間】右:1.1m/中:0.9m/左:1.1m
【参考】「川崎町の文化財 第九集 古木・名木」/川崎町教育委員会発行
水車は水の力を利用して、脱穀や製粉の動力や田んぼへの揚水などに使われてきた機械です。集落単位で共同に造られていたものもあれば、付属屋として個人の所有地の一部に造られていたものもありました。
水車の方式は、その場所の地形や水の量、流れの速さなどによって異なっていました。水の流れが急な山間に設置する水車は、車の上部に「かけひ」で引いた水を浴びせる方式、水の流れが緩い平地の川では、流れる水の中に車の下部を入れて、流れの力で車を回す方式となっていました。この水車と水車小屋は、遠野地方に実際にあったものを再現して建てたもので「水を浴びせる方式」です。
小屋の中には、杵とつき臼が一対になったもの2基と、木製の漏斗と石の挽き臼とを据えています。「ふるさと村」の田畑で収穫した米やそばを使って、精米や製粉も行っています。
「鳴瀬川河畔の家」のように洪水に悩まされてきた地方では、家族が安全な場所に避難できるように日頃から舟を用意していて、「避難舟」や「用心舟」と呼ばれていました。
この舟は、宮城県石巻市に住む老齢の「舟大工(ふなだいく)」が、昔ながらの技法や儀式によって建造したもので、今日ではたいへん貴重なものということができます。
舟の建造にあたっての主な儀式には、次のようなものがあります。
シキハジメ
シキ(舟の底の部分)になる材を作業台の上に乗せ、その上に供え物を供えて舟大工と舟主が拝みます。作業の安全と建造の成功とを祈る行事です。
フネオサメ
完成した舟を舟大工から注文主に引き渡す儀礼です。舟の引き渡しは、舟を舟大工の娘にたとえ、舟主へ嫁入りさせる儀礼に見立てて、婚礼の披露宴の形を取ることが多いと言われています。